志賀島の北側、玄界灘に面したところに『勝馬(かつま)』という土地があります。この勝馬には沖津宮、仲津宮、表(うわ)津宮の三社がありましたが、2〜4世紀頃に元は阿曇磯良神が御祭神であった勝山の麓の現志賀海神社に遷宮されます。現在沖津宮と仲津宮は志賀海神社の摂社として、表津宮は後だけが残ります。そして志賀海神社は新たに御祭神を綿津見三神とし、境内の今宮社に阿曇磯良丸を初めとした阿曇諸神と宇都志日金析命・住吉三神が祀られることになります。 さてこの元の三社でありますが、名前からも推測されるとおり、表津宮─表津綿津見神、仲津宮─仲津綿津見神、沖津宮─底津綿津見神が祀られていたのですが、現在の沖津宮の御祭神は表津綿津見神となっています。これがずっと疑問に思っていて、志賀海神社を取り上げた色々な方のブログにも事実だけが記されているばかりで、何故と問うている方は誰もいらっしゃいません。そこで現志賀海神社を実質引き継がれている平澤憲子権禰宜に伺って初めて謎が解けたのです。 平澤氏の話によると、「遷宮によって島の南に位置する今の志賀海神社が綿津見三神をお祀りするようになってから、仲津宮と沖津宮は摂社となったため格が下がったので、本社より格が高い、あるいは同じ神を祀ることは出来ないのです。」とのこと。要するに綿津見三神の中でも底津綿津見神が最も格が高いため(能でもシテは底津綿津見神)、沖津宮の御祭神を社自体がなくなった表津宮の神である表津綿津見神と変えられたのです。 写真を見て頂くと、沖津宮はいかにも海神がおわします風情で玄界灘に佇んでいます。今でこそ表津綿津見神となっていますが、綿津見神のルーツがここにあることは間違いがなさそうです。引き潮になると歩いて渡れるらしいので、一度訪ねてみたいなと思っています。