その他

その他 · 2021/04/04
神功皇后の三韓征伐において、阿曇磯良がその水先案内人となった話は『わたつみ』のクセの部分にも描かれております。神功皇后が諸神を招く際に、阿曇磯良だけがなかなか姿を現しませんでした。それは海底に住むがために顔に鮑や牡蠣がくっついて醜いことを恥じていたのです。そこで住吉明神が磯良が好む舞を奏したところ、ようやく磯良は姿を現すのです。間狂言で舞われる『細男(せいのお)』の舞は、まさしくその様子を表しています。顔に覆面をかけるのもそのことを表しています。 実は京都の祇園祭にもこのことを題材にした鉾があります。『船鉾』と『大船鉾』。元々この二つは先祭と後祭に分かれて巡行していたため(今現在もその形が復活している)、同時に見ることはなく、『船鉾』が征伐に出向く時を表す『出陣船鉾』、『大船鉾』が勝利して帰還した時を表す『凱旋船鉾』と言い分けられていました(当初はその区別もなく、どちらも船鉾と呼ばれていた)。 船鉾には三体の神(神功皇后、住吉明神、鹿島明神)と龍神・阿曇磯良が潮満瓊・潮干瓊の宝珠を持った姿で祀られています。室町時代の中期には「祇園社記」の記録に両船鉾の名がありますから、その歴史もなかなか古いと言えます。写真を御覧頂くと判りますが、右の赤い髪が磯良で、先頭に立って案内をする様子が見て取れます。因みに左に写っているのは舵取り役の鹿島明神です。 昨年は敢えなく中止となりましたが、是非今年の祇園祭では船鉾にご注目ください。前掛けなどの装飾品にも、多くの龍や波が描かれています。