志賀海神社の遥拝所は必見のスポット。眼前に広がる玄界灘と海の中道は必見です。対岸には摂社の大嶽神社があり、その延長には橿原神宮や伊勢神宮までもが遥拝できるとのことです。
海の中道は日本でも有数の砂州で、その昔は『打昇の浜(うちあげのはま)』や『吹上の浜(ふきあげのはま)』とも呼ばれていました。実際『わたつみ』の謡にも『吹上の浜』と記されています。
一般の資料によると『海の中道』という呼び方がいつから始まったかは不明だそうで、18世紀初めに貝原益軒により編纂された『筑前国続風土記』で地元民がすでに呼んでいたことが記されているとありますが、実は『わたつみ』には『海の中道』の固有名詞も出てくるので、16世紀末には既に呼ばれていたということになります。
龍神は海神の代名詞的存在で、志賀海神社は『龍の都』とも呼ばれています。一方砂州はその形状から、龍の如く喩えられることがあります。志賀海神社にとっての龍は『海の中道』なのです。そしてもう一つ、京都の丹後地方にある元伊勢の総本社『籠神社(このじんじゃ)』。こちらも海人族を統括した供造氏族『丹後海部氏』が代々宮司職を務められているという、志賀海神社と同じような背景を持った神社です。因みに私が携わったもう一つの復曲能『眞名井原(まないのはら)』は『籠神社』の千三百年祭でしたから、私個人もただならぬ海人族との繋がりを感じるわけですが、それはさておき、この『眞名井原』にも龍神が登場し、大臣に玉を捧げます。籠神社のある宮津湾を思い浮かべてください。立派な砂州がありますよね。そう『天橋立』です。少し前にブラタモリで近年に天橋立が伸びて龍に見えるようになったと言っておりましたが、その以前でも充分に龍として存在しています。
このように海神を祀る神社の廻りにはそれを匂わせる場所が存在します。志賀海神社や籠神社のように殊更歴史の深いところには、必ず砂州が存在します。『海の中道』も『天橋立』も龍であると同時に、神様が下界を見下ろす場所即ち『天浮橋(あまのうきはし)』でもあります。地理がそのように見えるのではなく、風景に姿を変えて神は我々を守護してくださっているのです。
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